以前、『オーラの泉』という番組をみていたら、美輪明宏さんが「前世と顔や性格・好みは似ているものよ」とおっしゃっていたので、美輪さんの前世である天草四郎はどうかと肖像画をみてみたら、美輪さんに似ていました
そこで、私の知り合いである戦国武将にそっくりな人がいるので、その人の周辺を調べていたところ、なんとなく千利休は、今の時代に生まれ変わって来ているかな〜???と思い、千利休ほどの人物なら、有名になっているに違いないと思い、肖像画をみながらそれと似ている人を探していたのだけど、イマイチ分からぬまま次の日の朝・・・・
なんとなく立ち寄ったコンビニで、千利休発見・・・と思いきや、松下幸之助でした。宝島社の特集で、偉大な日本人シリーズの7月号が松下幸之助だったようでした。
一体、私はどうして松下幸之助を千利休だと思ったのだろう・・・・と不思議に思いながら、その本をぱらぱらめくると、松下幸之助の写真が掲載されていて、ちょうどその写真が昨夜見た千利休の肖像と同じ角度の写真で、あまりのそっくりさにビックリ
早速、千利休の生まれ変わりを発見してしまった気持ちになりました。
しかも、それを裏付けるかのように、松下幸之助が茶室で茶器を眺めていたり、日本庭園を歩いている写真がたくさんあるではないですか
その話を友人に話しながら、フラフラあるいていると、いきなり大きな字で「利休」と書いた看板が目に飛び込んできました
やっぱり、松下幸之助は千利休の生まれ変わりなんだと確信させられたようなハプニングでした。。。。
私のインスピレーションも、なかなかかもしれません
*****
さて、その松下幸之助さん、本当に素晴らしいかたでしたね。読んでいて感動して、ブルブル震えてしまいました。
「熱海会談」の話は、本当に凄かった・・・
東京五輪が開催された1964年、白黒テレビや洗濯機などの主力家電が普及の飽和状態になりつつあり、需要が停滞。全国の松下電器の販売店・代理店の多くが赤字経営に転落。
現場は、松下電器への不満でいっぱいだった。そんな事態を重視した松下幸之助(当時69歳)は、営業所長及び全国の販売店、代理店社長を一人残らず熱海の「ニューフジヤホテル」に集めた。
始まった会談は、さながら「松下糾弾大会」だった。
率直な意見を求めた幸之助に対し、ある参加者が不満を述べると、堰を切ったように苦情と批判が檀上の幸之助に浴びせられた。
幸之助も応酬し、お互いが責任を問い、議論は平行線を辿った。一体どうすればよいのか。出口の見えない議論が延々と続き、誰もが途方に暮れていた3日目、幸之助は頭を垂れてこう切り出した。
「現状は、分かった。結局、松下電器が悪かった。この一言に尽きる。」
顔を上げた松下幸之助の目から涙が落ちた。会場はしんと静まり返った。
「30年近く前、相撲で言えば幕下だった松下電球を大いに売って下さったのはみなさんでした。今の松下電器があるのも皆さん方のおかげ。松下電器がまず改め、その上で皆さんにも求める点があれば改善を求めたい。売上の減少など、この際問題ではない。もう誰が悪いではなく、心を入れ替え、出直したい。」
幸之助は詫びた。あれほど激しく非難の声をあげた参加者たちも、泣いた。そして強力と団結を誓ったのである。
「熱海会談」後、会長職にあった松下幸之助は、営業本部長として現場に復帰。自ら陣頭指揮に当たり、その決意を実践してみせた。新たに導入した新・販売制度は起動にのり、松下電器の業績も回復へ向かったのである。
*****
既にその頃69歳で会長職にあった人が、販売店や代理店社長の前で謝り、営業本部長として現場に復帰し実践してみせるなんて・・・すさまじい精神性を感じます。
この日記を書いていて、改めて読んでみて心臓バクバクしてきました。
プライドもなにもかもかなぐり捨てて謝った松下幸之助のほとばしる熱い思いが伝わってくるようでした。
(by.佐藤)
2006年07月23日
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